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風景が変わると意識が変わる。意識が変わると世の中が変わる。

足立 佳代さん面談可
宮崎県男女共同参画地域推進員 宮崎県男女共同参画審議会委員

元中学校教諭。在職中に女性の人権やジェンダー平等教育について学び、「性別で分けない名簿」の推進に努めた。
現在は、宮崎県内においての男女共同参画社会づくりを進めるため、県が委嘱する男女共同参画地域推進員として男女共同参画に関する講演や研修講座等を行っており、男女共同参画審議会委員も務めている。

※ジェンダー(gender):
生まれたときの生物学的な性別(セックス/sex)を理由に、「女性は○○」「男性は●●」など、社会によって作られた女性像や男性像のことをいう。ジェンダーに基づく“らしさ”の押しつけや偏見が差別や不平等に結びつく。

学校でジェンダー教育に力を入れ始めたきっかけを教えてください。

ジェンダー平等教育、男女平等について考え始めたのは、教員になって授業がうまくいかなかったことがきっかけです。生徒が授業を静かに聞いてくれない、宿題をしてこない。ところが、男の先生や厳しい先生のときにはちゃんとしている。怖い先生のときはビシッとして、優しい先生のときはだらけるというのは、無意識のうちに、子どもたちが男女で差別をしているのではないか。私の指導力が未熟なせいだけではなく、子どもたちに自ら学ぼうという自立心が育てられていないからではないか。これは自分だけの問題ではないと思いました。力のある者の言うことは聞くが、そうではない者の言うことは聞かないという差別の構造とつながっているのではないかと感じました。
産休・育休から復帰した後も、学級がうまくいかなくて教員を辞めようかと悩みましたが、自分の指導力をつけようと教科や生活指導についても学び直しました。学校での男女平等は、女の子には女の子の特性がある、男の子には男の子の特性があるという前提に基づいています。でも、いろいろな場面で、それではいけないのではないかと思うようになりました。「学校の中で女の子がちゃんと育てられていない。“母親になる人”として育てるのではなく、自立したひとりの人間として育てなければならない」と考えるようになりました。男子も同じです。性別に関係なく子どもたち一人ひとりに自分の頭で考え行動する自立の力をつけないといけない。これをやらないと私は学校では生きていけないと思いました。これが原点です。

  • 1973年 宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業
  • 1978年 熊本大学法文学部文学科国語国文学専攻卒業
  • 1978年 宮崎県内で中学校の国語教諭として勤務
  • 2014年~ 宮崎県男女共同参画地域推進員
  • 2015年 定年退職
  • 現在は、日向市公平委員会委員、日南市多様な性の尊重検討委員会委員などを務める。
  • 学校の職員研修や人権同和教育研究協議会の研修の講師としても活躍。

どのような活動をされてきたのですか?

ジェンダーについてはカリキュラムがないので、国語や学級活動、総合的な学習の時間などに、生徒たちにジェンダーの視点で様々なことを考えてもらいました。進路の選択についてはどんな仕事でも性別に関係なく選べるという話をしました。国語は、教材の中でいろんな視点を入れることができます。教科書には女の子が主人公のお話や、女性の作者の文章が少ないです。主人公が女の子の場合でも、教科書で抜粋している部分では弱々しい女の子が描かれていて、その作品を全部通して読んでみると、印象が違って生き生きとしているということがありました。教科書に抜粋されていない部分を読んで、生徒に「どう感じた?」と問いかけました。

教科書調べもしました。例えば理科の教科書の挿絵。30年前は実験をしているのは男の子ばかり、女の子は記録を取ったり、器具の準備をしたりするなどの補助的な役割の絵ばかりでした。後に、生活科の教科書は、男女が同じように活動する挿絵が入って、服装もスカートや半ズボンなど多様になりました。教科書は毎日触れるので、知らず知らずにジェンダーが刷り込まれると思います。

学校の名簿も変わってきました。名簿は男女別で、男子が先に書かれていましたが、2000年頃に、全国的に男女混合の名簿に変えようという動きがありました。私が当時勤務していた日向市では、まず1997年に、ある小学校で混合名簿を導入したのが始まりで、続けて中学校も変わりました。でも県内ではなかなか進まなくて。
退職後に受講した宮崎公立大学の講座で、小学生のお子さんを持つ方と知り合いました。他県から転勤してこられた方で、「なぜ宮崎市は混合名簿ではないの?」と疑問に思われていました。そこで、混合名簿について勉強会をしたり、市議の方と話したり、教育委員会の方との学習会もしました。署名活動も始まって、県でも推進することになりました。実際にやってみると、何の問題もないんです。

名簿が混合になっても、ロッカーや靴箱、集会での整列などが男女別のままのところがあります。男女に分けて男子のかたまりを先にすると、男子を優先するという考え方がいつの間にか刷り込まれてしまいます。名簿だけでなく、さまざまな場面で男女を混ぜることで、それが少しずつ解消されます。これはとても大きなことです。今では「男女を混ぜる」から、「性別で分けない教育」という考え方になってきました。名簿は意識を変えるスタートであり、名簿を変えるだけでなく、学校ではジェンダー平等の教育を行っていかなければなりません。

今後、取り組んでいきたいことはありますか?

性別による生きづらさから解放されて、一人ひとりが幸せに生きられる社会になるよう、できることを続けていきたいと思います。
日本で男女平等が進まない原因の一つは長時間労働だと言われています。

私の子育ては、夫の父と母にすべて助けてもらいました。夕飯を食べさせたり宿題を見たり、ずっと面倒を見てくれました。私は仕事で遅くなることも多く、同じ教員の夫も部活動の指導でなかなか家庭にいられませんでした。私は定年退職するまで長時間労働から抜けられませんでした。
先日、ある先生が2人目の子の育児休業が終わったら退職するという話をききました。「同じ教員の夫がこんなに忙しい中では、共働きで子育てするのは無理」ということでした。女性が辞めなくてもいい環境づくりを目指しているのですが、本当に残念です。

今ようやく、働き方改革で教職員の働き方にも目が向けられてきました。これまでも、続けられずに辞めてしまった人は多いと思います。男性が一緒に子育てできない。ワーク・ライフ・バランスが実現できない。
日本はそこをなんとかしないと変わらないですよね。休みを取ると迷惑がかかると言いますが、そんなことはないんです。なんとかなります。退職する間際は随分、変わってきたと感じていました。例えば午前中は母親、午後は父親が交代で有給休暇を取る同僚がいました。
家庭と仕事が両立できるような労働環境、意識の醸成を目指して、活動していきたいと思っています。

現在、宮崎県男女共同参画地域推進員として講演会や研修会の講師をしています。内容は男女共同参画の推進、性差別の解消、ジェンダー平等教育などです。特に学校では「性別で分けない教育」というテーマでお話をしています。「性別で分けない名簿(混合名簿)」に変わった学校ではその意義や意識の改革について研修を進めています。また、性別による生きづらさからの解放という視点から性的マイノリティについての研修も行っています。
中学生と大学生を対象に「LGBT」についての授業も何回か実践しました。若い方々に話を聞いてもらうことは自分の活動の推進力にもなっています。

活動を続けて原動力となる楽しみは、どんなことですか?

コンサートや美術展、古典芸能などの鑑賞や旅行が楽しみです。宮崎国際音楽祭も毎年楽しみにしています。自分では楽器も弾けないし、絵も描けないのですが、いろいろな芸術に触れることで、歴史や美を感じ、感動します。

これから社会に参画される女性の皆さんへのメッセージ

あなたの問題は決して個人だけの問題ではありません。「個人的なことは社会的なこと」。自分の学びが自分を変え、社会を変えることにつながります。あきらめないでともに学び、活動していきましょう。

宮崎県男女共同参画地域推進員
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ご相談は男女共同参画センターまで(電話:0985-29-8544)

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